どうも!
あまりにもヒッキーな現状に危機感を感じ、3日前からウォーキングを始めたPrisonerです。
上下はもちろん気合を入れて、中学生のころに流行った赤黒三本ラインの神ジャージで。
チャックはフルにタイトに限界まで締めるのがジャージに対する最低限の礼儀ってもんです^^)b
んでもって靴は・・・何を隠そう、泣く子も黙るビルケン・シュトック。
泣く子も黙るビルケンシュトック・・・こんなかんじ

そして神ジャージはこんなかんじ
泣く子も黙るビルケンシュトック+神ジャージ=こんなかんじ
・・・。
不審者??
てかウォーキングにサンダルの地点でやる気がありませんね、本当にありがとうございました。
別にいーんです。歩けりゃいいんですよ歩けりゃ。
なーんてぶつぶつ言いながら、
なんとか山の三日目を乗り越えて「自分で自分を誉めたいです!」と言ってみる今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか?
さて、今日は「友愛」による政治について少し考えてみたい。
リーマンショックに端を発した経済の破綻から、市場を「神の見えざる手」に委ねる思想、つまり自由市場主義の限界は確かに顕著なものとなった。
企業もかつてのように、利潤を追求するのみで社会的責任を果たさないままでは淘汰されるようになった。
そして何より、日本にもリーマンショックの津波は容赦なく押し寄せ、景気後退による大量の失業者が生まれた。
このような、個人ではどうにもできない巨大な負の流れを受け、国民の多くは「政治」に期待を寄せた。
こうして、「国民主導」「支えあいの社会」を謳った「友愛」による政治が生まれたわけである。
今のところ、「友愛」による政策は賛否両論に真っ二つに分かれている。
すなわち、今までの自民党による「大企業」「ゼネコン」牽引型の政治により恩恵を受けてきた層と、そうでない層の2つである。中には、「外国人参政権」反対など、左派あるいは右派により分かれる層もあるが、ここでは取り上げないこととする。
さて、ここで強調したい事は極めて当たり前なことではあるが
「全ての人にとって「正解」である政治を行うことは不可能である」という点である。
すなわちどの政策を実行するにせよ、小泉元首相の言葉を借りれば「抵抗勢力」は必ず存在する点である。
そこで、「最適解」を見つける必要がある。
どこに最適解を求めるか。
例えばダム問題。
自分は無駄な公共工事、ダム建設などには全く反対の立場で、この点においては民主党の政策に大きく期待するところがある。
しかし、公共工事の削減により雇用を失う人が少なからず存在する。
それらの人々の生活保障をどうするのか。
「社会が必要としなくなったのだからしょうがない。いつまでも補助金や公共事業に頼らず、時代の流れに合わせたビジネスモデルを開拓していかねばならない」
という意見もあろう。しかしこれは企業レベルで考えた意見に過ぎない。
改革には確実に痛みが伴う。例えその改革が「国民主導」の政治に切り替えるための改革であってもだ。
その中で、いかに痛みを最小限にとどめられるか。
そこに民主党の政治手腕が問われると考えている。
最後に、「友愛」という理念については、以下の記事で非常に巧みに、わかりやすく紹介されている。
自分は、以下の記事の意見に全面的に賛成である。是非参考にされたい。
blog.tatsuru.com/2009/10/28_0804.php
[0回]
PR